79.左京大夫顕輔の歌:秋風にたなびく雲のたえ間より~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『79.左京大夫顕輔の歌:秋風にたなびく雲のたえ間より~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

秋風に たなびく雲の たえ間より 漏れ出づる月の 影のさやけさ

左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)

あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいずるつきの かげのさやけさ

秋風にたなびく雲の途切れた隙間から、漏れ出てくる月の光は、何と明るく澄んでいることだろうか。

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[解説・注釈]

左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ,1090-1155)は、平安時代の富豪として知られる藤原顕季(ふじわらのあきすえ)の子であり、白河院・崇徳院の側近として仕えていた人物である。84番作者の藤原清輔(きよすけ)の父でもある。崇徳院の院宣を受けて、勅撰和歌集の『詞花和歌集』を撰集した。

この歌も、崇徳院の命によって編纂された『久安百首(きゅうあんひゃくしゅ)』の中の秋の季節の歌として収められているものである。夜の雲は奈良時代までは、月の光を遮る邪魔者のように扱われていたが、平安時代中期頃には、雲の絶え間から射し込んでくる月の光に独特な幽玄(ゆうげん)の美を見出すようになってきた。

雲ひとつない夜空に明るく輝く満月のような美しさは典型的なものだが、平安貴族は棚引く雲に隠れてしまった月が、雲の隙間から明るく清らかな光を投げかける情景に、もののあはれともいうべき情感を感じていたようである。兼好法師も『徒然草』の中で、群雲に隠れて時折光を投げかける月の趣きの深さを賞賛している。

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