芋の煮えたも御存じない
(いものにえたもごぞんじない)
[意味]
芋が煮えたか煮えていないかという日常生活の簡単なことすらまともに判断できないということの喩え。
世間知らずのぼっちゃんやお嬢様(若君・姫君)の常識・生活感のなさを揶揄していうことわざである。蝶よ花よで甘やかされて守られて育てられた人間の喩えとしても使われる。
日本では昭和の時代まで『芋煮(いもに)・煮物』は家庭料理の代表であり、どこの家でも頻繁に芋(野菜)や肉・魚を煮て食べていたので、庶民の家庭生活をしていれば芋の煮え加減くらいは分かって当たり前だった。現代の日本では『芋煮』を家庭でしたことがない若者も増えているので、このことわざは半ば死語に近いものになっているだろう。
[類義のことわざ]
[用例]
何人もお手伝いさんのいる家庭で育った彼女は、『芋の煮えたも御存じない』といった感じで、日常生活の家事や料理のことをまるで知らなかった。
家庭で甘やかされて何でもしてもらって育った男の子は、『芋の煮えたも御存じない』というような自分ではろくに何もできない大人になってしまうことも多い。
参考文献
時田昌瑞『岩波 ことわざ辞典』(岩波書店),『新明解故事ことわざ辞典』(三省堂),日向一雅『ことわざ新辞典』(高橋書店)
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